●第二の試練
2003・8月(H13)
甲状腺がんで入院、手術
2週間で退院。
落ち込む。神も仏もないものかと。
甲状腺の手術の痛みより脳卒中の後遺症のほうがつらかった。
針治療の先生が耳下腺が腫れているとの事で耳鼻科を受診
甲状腺がん見つかる。脳幹出血のおかげかな。
現在も耳鼻科で継続検査を受けている<
●第三の試練
2009.28(H21)
早期胃癌見つかる。
2009(H21).11..2
内視鏡手術
手術までの待ち時間、3ヶ月が大変だった。
2009.12.9.
退院
●第四の試練
2020.6.(令和2)
硬膜下血腫
●2020.5/19AM5
トイレでふらつき壁で頭を打つ
●トイレで頭を打ったこと。自分のベット迄歩いたこと救急車迄歩いたこと
覚えていない。救急車のなかこのことは覚えている。それ以降も。
●5/19~5/22
頭の傷は古いみたいだから検査後明日帰れるでしょう。でも硬膜の下から血液が流れていると5/19~5/22まで入院。そんなに後遺症はないが目が煩わしい。
●5/27くに草で歩きがおかしいとSTの先生より指摘、かえって風呂に入るが風呂から上がれない。ヘルパーさんと娘で引っ張り上げ救急車へ。
●6/4開頭手術6/4〜6/16まで安佐市民入院(この間私は記憶なし)
●6/26〜8/13で広島市リハビリセンターに入院8/13退院
ここのリハはきつい。土日。休みなしでリハした。
以前、広島市リハビリセンターのリハは「ハードは良いがソフトに難がある」と聞いていた
でもどの理学療法士さんも熱心だった。が、そうともいえるかもしれない。
だけど驚いたことがある。
私は入院時自分でできることは頑張ってしたがそれがのちにネックとなったことが判明。
がっかりした。
ようするに入院時できなかったことができるようになるほうが病院の点数が上がるのだ。
入院時自分のことが何でもできると病院で回復しないと取られるそうだ。すると病院の収入が低くなるのだ。
そこでSTさんに質問した
「先生。それでは入院時患者さんが何もできないと嘘を書けばいいじゃない?」
「そうなんです。実際にそんな病院があって摘発されました」。
という事だ。どこでも悪知恵が働く人がいますね。
というわけで私はもう少し入院したかったけど「もうこれ以上の回復は望めない」と退院させられた。
まあ、手術した病院の先生は「リハは1ヶ月半くらいでしょう」と聞いていた。
それより1ヶ月も永かったからな。
これで良かったかもしれません。
現在の私の様子
脳幹出血の後遺症に覆いかぶさるように後遺症がのこった。
●揺れ
●痺れ
●頭に締め付け
その上。
●マヒ脚の筋力の弱まり。
と結構大変だ。
此度の入院で解ったあたらしいこと。
「誰一人今まで私が揺れていることにきがつかないのですよ」と。
リハセンターのある療法士さんに聞くと
「たんぽぽさんの揺れは他人は解らない揺れは脳幹の後遺症としてある。
また、たんぽぽさん自身の揺れを感じる感覚を抑える機能も脳幹にはあるんだけど・・」
ああ!そうなんだ。だから逆に。揺れが解らない人もいるんだ。と20年たって今始めて揺れの謎がわかった。
私は揺れているというのが嘘のように思われるのが辛い。
第五の試練
●2022 11
右頬の目の下にちいさいほくろが半年前からできていた。
私はシミやほくろが多いがそのほくろといろと形が違っていた。
気になっていたので皮膚科で調べていただいた。
結果は黒だったが転移もしないおとなしいがんだ。
2022.12月.7日にとっていただく予定でしたが12/14になりました。
無事に済みますように。
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